バイオ系の研究室を志望する学部生は何をすべきか ―専門書との向き合い方―

バイオ系の専攻(学部)は、理学系の中でも一際バラエティに満ちた人々が集うようである。小さい頃から生き物が大好きで、生物学を学ぶために入学した者。高校では生物を選択しなかったものの生命科学の研究に興味を持ち、大学院進学も視野に入れている者。医学の基礎研究に携わりたいと息巻いている、医学部落ちの元浪人生*1。理系科目が苦手のため、暗記力の一点で入試を突破してきた強者。そのようなバイオ系の専攻進んだ者が一度は思うことがある。それは「生命科学分野の勉強は何をすればよいのか」という疑問である。

 

 ここで用いる「勉強」とは、試験や単位を取るための作業ではなく、専門知識の増強や、研究室配属に向けた準備といった自主的な作業(独習)としての勉強である。

 

生命科学分野の独習者が始めに挑戦するのは専門書の通読であろう。『キャンベル生物学』『Essential 細胞生物学』『ヴォート生化学』そしてラスボスの『細胞の分子生物学*2……あげればキリがない。大学図書館でこれらの専門書の背表紙を眺めた時は、獲得すべき知識の広大さに圧倒され、高揚感に胸躍ったのではないだろうか。自分もその一人であった。

 

 しかし、独習のために専門書を通読するのは非常に効率の悪い勉強法である。その根拠となる理由を2つ述べる。

 1つ目の理由は忘れるからである。残念ながら大学の中にはそれなりの数の天才がおり、化け物じみた理解力と記憶力をもって専門書を乱読する輩がいる。基本的に大学教員はこの類の化け物なので、数十年前の学生時代の経験から、生命科学分野の勉強法として専門書の通読を奨励するかもしれない。しかし、天才ではない限り、専門書の通読はお勧めしない。あなたが凡人であるならば、必ず忘れていく。現在の生命科学は一周して博物学の様相を呈しており、あまりにも覚えるべき登場人物が多すぎる。改訂版が出るたびに数百ページの肥大化を繰り返すので、「基礎」「エッセンシャル」などと銘打った縮小版が出版されている。生命科学分野の専門書は読み物、というよりも辞書として考える方がよい。そのため、最初から最後まで専門書を通読するという行為は、辞書や百科事典を通読する行為に等しいと筆者は考える。あなたが凡人であるならば、専門書の通読は非常に効率の悪い勉強法である。

 

 2つ目の理由はオーバーワークに陥る可能性があるからである。生命科学分野に関わらず、研究室で与えられるテーマは極めて専門性の高い、細かなものに設定される。例えば、遺伝学研究室に配属が決まり、エボデポ寄りの遺伝学の自習をすすめていても、研究室で与えられるテーマが核膜孔複合体の機能解析といったゴリゴリの分子生物学になることも日常茶飯事である。もちろんConnecting dotsという言葉があるように、獲得した知識が無駄になることはなく、必ず役に立つ瞬間は訪れるであろう。しかし、学部1~2年生で専門書の通読に挑戦するのは(しつこいようであるがあなたが凡人である限り)オーバーワークであると断言する。専門書に真正面から向き合うのは研究室に配属され、研究内容が決まってからでも決して遅くはない。生命科学という分野は著しく細分化・高度化されている。博士号を持っている研究者であっても、専門分野がタンパク質であるならば、細胞について書かれた論文を読むのには時間を要するかもしれない。ましてや生態学の論文は読んで理解するのすら難しいであろう。学会やシンポジウム等で同じ領域のセッションであっても、対象の分子が違うだけで全く話についていけないということもしばしば発生する。経験豊かな研究者であっても、多かれ少なかれ専門外の分野を理解するのは苦労するのである。ましてや学部生の段階でそれを行うのは、非常に効率が悪いのである。

 

 「人間は忘れる生き物である」「生命科学は多様化しすぎている」以上の2点から、専門書の通読は生命科学分野の勉強法として非現実的であると筆者は考える。勿論、専門書の通読という作業が万人にとって棄却されるべきだとまでは主張しない。研究活動が始まれば、否応なしにも読まなければならない時期がくるものである。それまでは無理して読むことはないというのが筆者の主張である。

 

 

f:id:hanaserebu_umai:20200801190819p:plain



 

*1:しばしば彼らは医学部に「栄転」する

*2:筆者が所属していた研究科ではこの分厚い書物が神格化されており、この本を通読すれば全知全能の紙になれるかのような扱いを受けていた。The CELLは文句のつけようのない「生きた」名著であるが、高々1,584ページに収まるほど生命科学は狭い学問ではない。